今、発酵を伝える私と母と発酵の歴史!「醤油と味噌」 (1)
近頃の発酵ブーム
一時期日本人が忘れてしまった「発酵」
「発酵」と言うと真っ先に思い付くのが「日本酒」
戦後の米不足で「日本酒」の質が低下した事で日本人の「日本酒離れ」などがおきました。
それと時を同じくして各家庭で作られていた「味噌や醤油」の手作りが減っていった気がします。
しかし、この数年「発酵」は、徐々に皆さんの生活に戻ってきています。
本当に素晴らしいことだと思います。
2013年12月に「ユネスコ無形文化遺産」に登録された「和食」と発酵は切っても切れないものだと知って欲しいからです。
「塩麹」から始まり「味噌」「甘酒」「醤油麹」「麹」など、色々なものを自身で手作りしてる方が増えてきました。
「一般社団法人 国際発酵食医膳協会」においても、2016年から「伝統発酵醸師」と言う「発酵」をお伝えする先生を育成しています。
母と私と発酵
私にとって「発酵」は母との思い出の歴史でもあります。
母の里は「名古屋」でした。
東京に出てきた時、慣れ親しんだ「八丁味噌」や「溜まり醤油」「白醤油」が無い事にびっくりしたそうです。
今のように各地方の調味料がすぐ手に入る時代ではなく、里帰りのたびに持ち切れないほどの調味料を担いで帰ってきたと話してくれました。
とは言え、持ち帰るにも限度があります。
母の母つまり祖母の実家が酒屋で小さい頃から味噌や醤油は身近だったせいも有ると思うのですが、「無いものは作れば良いんだ!」 と、母の「手作り味噌・手作り醤油」が始まりました。
小さい頃の私の記憶に、冬になると「大量の豆を茹でている母」の姿があります。
これが今の私にとってどれだけの財産になっているか…。
※写真のノートは寝たきりになった母から聞き書きしていったもの。
私が小学生の頃、手作りの醤油が無くなり市販のものを購入した折に「近頃の醤油はカビないのね。昔は買ったものもカビるから濾して使ったのに…。」と何気なく言ったことを覚えています。
その頃、母の作った醤油は冷蔵庫に入れないと「カビる」「味が変わる」事が嫌で「買えば良いのに!」「やっぱり市販のものの方が品が良いのよ」と言ってしまった事が「発酵」を伝えるようになった今、どれだけ間違った事だったか後悔しています。
何故『カビないのか?』そんな事も考えないつかない子供の言葉により母の醤油造りは40年ほど前に終了してしまいました。
けれど、味噌に関しては父が母の手作り味噌を好んだため色々な配合で作られ続けていく事になります。
それが現在 皆さんへお伝えしている味噌の元となっています。
母と私の大騒ぎな味噌作りの歴史は次の機会にお話ししたいと思います。
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